こんばんは。落武者戦闘服です。
昔からゲームの話になると「ドラクエ派かFF派か」みたいな話があるけど、
今回はその二択じゃなくて、**「ドラクエとFFがJRPGの中でどんな役割を担ってきたか」**というテーマで、ちょっと真面目に語ってみたい。

結論から言えば、ドラクエは“変わらないこと”の象徴で、FFは“変わり続けること”の象徴だと思ってる。
それぞれの歩みを振り返ることで、JRPGがどう育ってきたのかが見えてくる。
ドラクエは“JRPGの原型”を作った
ドラクエ1〜3の時代って、まさに「JRPGの骨組み」が作られた時代。
特にDQ3は、転職システム、広大な世界、伏線を回収する物語など、今のRPGの“テンプレ”になってる。
- 王様から旅立つ
- 仲間と出会う
- 大きな世界を少しずつ巡る
- 魔王を倒す
この構造、今プレイしても「これぞRPG!」って感じるのって、やっぱりドラクエが“型”を作ったからなんだよね。
FFは“JRPGを進化させ続けた存在”
一方でFFは、1作ごとにガラッと変えてくるチャレンジャー。
- FF4:アクティブタイムバトル
- FF6:群像劇で、主人公が誰かすら揺らぐ
- FF7:ムービー+内面世界で、RPGの表現をまったく別次元に引き上げた
中でもFF7のクラウドの物語は象徴的。
「自分はソルジャーだった」と思っていた彼が、実はそうではなかった。
**“自分という存在が揺らぐ物語”**って、当時のゲームではほとんどなかったし、
JRPGが「心の深層」まで描くことができるジャンルだってことを証明した。
→ FFは**「次の時代のJRPGってこうじゃない?」を常に提案するシリーズ**だった。
DQは“変わらない”ことで帰る場所になった
じゃあドラクエはずっと同じことをしてきたのか?というと、それがむしろ意義深い。
FFが精神世界や哲学に踏み込む一方で、DQは「人生そのもの」を丁寧に描いてきた。
たとえばDQ5。
主人公が奴隷として過酷な人生を歩みながら、父を失い、結婚し、子どもが生まれ、そして親子三代で魔王に挑む。
「ゲームの中で人生を体験する」っていう、RPGのもう一つの可能性を切り開いた作品だった。
FFが“自分を見つける旅”だとすれば、DQは“自分の人生を築く旅”。
この対比が本当に面白い。
JRPGはこの2本柱があったからこそ、ここまで来られた
FFが変わり続けることで、JRPGは進化してきた。
DQが変わらずにいてくれたから、「RPGってこうだよね」という感覚が失われなかった。
進化と原型。内面と人生。前進と帰還。
この2つがあったからこそ、ペルソナやゼノブレイド、テイルズやアトリエみたいに、色んなJRPGが花開いたんだと思う。
さいごに
というわけで今回は、**「ドラクエとFF、それぞれがJRPGでどんな役割を果たしてきたか」**という視点でまとめてみました。
どっちがすごいとかじゃなくて、**“2つの支柱があったからこそJRPGはここまで愛されてきた”**という話です。
FF7で自分の記憶と向き合い、DQ5で自分の人生を選ぶ。
そのどっちにも心を動かされた人は、きっともう“JRPGの申し子”なんじゃないかなと思ってます。
ではまた次回。落武者戦闘服でした!