落武者戦闘服の雑多な日記

40代サラリーマンの雑多な日記です。

第7話:人間の悪意 vs キメラの愛

おはようございます。

落武者戦闘服です。

──ネテロとメルエム、どちらが“人間的”だったのか

ネテロとメルエムの戦いは、単なる「人間 vs 怪物」ではなかった。
それは、人間とは何かという問いを突きつける哲学的対話だった。

ネテロは、若き日に祈りの修行を積み、人間の“徳”を極めた男だった。
だが彼が到達した悟りの果ては、意外にも「人間への絶望」だった。
愛や倫理で統制できない人間の本質──
それを誰よりも知っていたからこそ、
最期の選択は「悪意の兵器」ミニチュアローズだったのだ。
それは人類の理性の産物であり、同時に人間の闇そのものだった。

一方のメルエムは、生物としては“人間未満”の存在。
しかし彼は、道徳を学び、他者を理解しようとする意志を持っていた。
彼にとってコムギとの軍儀は、単なる勝負ではなく「他者との共存の試み」だった。
その姿勢は、倫理的にも宗教的にも“人間の理想像”に近い。

宗教的に見れば、ネテロは「神に最も近づいた人間」だった。
だが同時に、祈りの所作を失ったことで、
彼は神から最も遠ざかったとも言える。
対してメルエムは、死を前にして「愛」と「赦し」に辿りついた。
それは宗教が説く“救済”そのものだった。

本能という観点では逆転する。
ネテロの破壊衝動は「生存本能」の延長線上にあり、
メルエムの愛は「種としての進化」を示唆していた。
人間が持つ“自我と欲望の暴走”と、
キメラが見せた“他者との融合”──
そのどちらがより「人間的」だったのか、簡単には答えが出ない。

だが一つ確かなのは、
ネテロは理性の果てで悪意に堕ち、
メルエムは本能の果てで愛に至った。

それこそが冨樫義博が描いた、“人間という存在の両義性”なのだ。